今日は阪神淡路大震災から17年目に当たります。
17年前は皆さんはどうなされていたでしょうか。
我が家は敷地の真ん中を地割れが走り、1階が股裂き状態で座が抜けました。
成人式を地元西宮で終わったばかりの長女と、高校生の次女、高校受験前の長男
と家族5人が一緒の時だったので、直後に無事を確認する事が出来て幸いでした。
長女と次女は増築した3階で寝ていて、降りる通路確保が大変だったように覚え
ている。長男は3畳の勉強部屋で本棚と机の間に寝ていて、倒れた本棚が机で
止まった三角形に助けられた。本棚の上には、祖父から送られた鉄製のカブトが
あったが、本人を直撃していればタダでは済まなかっただろう。
ドドーンと縦揺れが来て、トランポリン(体操の空中姿勢確認で良くやっていた)
で人に悪さをされているような動きに目を覚まし、見る間に南北に大きな横揺れが
続いた。長手方向に置いてあった和服ダンスの上側が、スローモーションの映像
を見るように揺れながら落ちてきた。”ワーッツ”と大声を上げながらタンスを避けた
様に思う。 幸い夫婦とも下敷きには成らなかった。
当日は肩を寄せ合い、余震を心配しながら玄関近くで仮眠。翌日、呼んで貰って
堺の姉宅に全員で避難した。避難途中、西宮を過ぎて武庫川を越えると、地震被害
の状況が全く違っている、軽い。
大阪まで行くと、そこは全くの平時。十数キロなのにその被害の落差に愕然とした。
場所にもよるし、活断層が東北に伸びていたことにもよると思うが、大きな川を挟む
ことでこんなにも被害の程度が違うものかと思い知った。
一年半後に元の土地に再建して戻るまで、義弟の世話で南武庫之荘にアパートを
借りた。 そこで尼崎市報を見た女房殿に薦められて、94年夏から走り始めた私の
仲間が居る「走ろう会」を知り、早速入会させて頂いた。当時は2代坪倉会長でした。
地震がなければ、尼崎走ろう会に入る事はなかったと思う。
今も例会毎に西宮から30分以上掛けて自転車通勤です。エニシの不思議を感じます。
96年夏、新築成って倉庫から家財道具を運ぶ時、姉娘から借りた車で事故を起こ
した事も今は思い出です。前の車のストップランプが桃色に見えたのは疲れためか。
97年冬に戻った西宮で飼いだした犬(ダイチ)も、昨年12月31日に死亡した。
阪神大震災で受けたご恩を、昨年2回の東北行きで返せたか、とりあえず17年目で
阪神大震災の心のオリは一区切りとします。
私の場合、全国の義援金が40万(全壊)、再建費用2千万の消費税60万(3%)。
東北石巻市では全壊or死亡者家庭義援金100万、消費税100万(2千万の5%で)。
あなた・私の全国民からの温かい義援金が、冷たい消費税に食い尽くされている
笑うに笑えない光景が浮かび上がります。
国の借金を返す為に消費税5%→8%→10%と決定したとの報道ですが、被災者
の再建費用の消費税は免税にすべきだと、義援金提供者として強く思い主張したい
所です。
支出を削る所は議員報酬・訳のわからぬ調査費など他にもいっぱいあるはず。
2012.1.17 深草哲