尼崎走ろう会 Amagasaki Running Club

尼崎走ろう会は1970年に発足したランニングクラブです

2025年に55周年を迎えました

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20110303ジョギング日誌

20110303ジョギング日誌

昨晩は雪で、朝はどうかな?と思ったのですが、融雪水の流れる音もなく、今日は走れました。
 道路だけは溶けていますが、それ以外には雪も積もって寒いことは寒いのですが、風がないので走れます。ただ、歩道は例によって除雪されてなく、一部凍結もあり、かなり気を付けないと走れません。
 普段ですと水たまりを飛び越えるのですが、凍結しているところが怖くて水たまりに足をつっこんで濡れてしまいました。まぁ、靴も一日あれば乾くと思ってます^_^;

鄭成玉氏の親善交流日誌(その6)・・・最終回

 「なぜしんどいのにマラソン走るのか」と問われると「ただ健康の為に・・・」


 マラソンを始めてすでに十余年が過ぎた。筆者がマラソンをしているということを知って周囲の人たちは「なぜしんどいマラソンを走るんですか?」といぶかしげにまた心配そうに聞く。

 1998年3月政権交代と同時に役職をなくし一年を過ごし、1999年3月末、33年間青春を捧げた所(公報処→文化観光部)から名誉退職という名前で強制退出(?)した後、一山に引っ越した。3食(毎日)がつらく、退職者だけで会って焼酎でつらい身の上話(身世打鈴)をしながら、むなしい歳月を過ごした。たまにゴルフで旧同僚達に会い楽しんだけれど、暮らし向きが思い道理にならない立場で十分に行うことが出来ず中断し、ずいぶん前からしてきている登山を主な種目にした。登山道でも、筆者と同じような姿の頭を垂れた中長年男性達と会うと視線を逸らした。

 4月中旬12日間の高陽国際花博覧会で日本語通訳ボランティア活動を終えた後、一山湖水周囲を走り始めた。5km→10kmを手始めに十月のハーフマラソン大会(21.0975m)に参加を経験した後すぐ怖れもなくフルマラソン(42.195km)大会に挑戦した。

 最初に参加したフルマラソンを回想してみる。2000年秋のマラソン大会だ。若いランナー達とハーフ地点を軽快にそして一生懸命走っていたが、35km地点に来ると予想通り足がつって、胸が苦しくなり、究極の境地になってきた。ちょっとやそっとの苦痛ではない。なぜこんなに苦しいマラソンをするのかと反問してみた。失業者になった鬱憤を克服する為である、中途で放棄する事は出来なかった。

 ゴール地点が近くなるにつれて万感いろんな思いが交錯した。親父を慰労しながら米国留学の道に旅立った息子、「鄭先生はいらっしゃいますか」という昔の総務と職員の電話を受けて衝撃を受けた娘、公務員であった家長を慰めようと努め段々と言葉少なになった妻など、家族の姿が突然浮かび上がってきた。今の悲しみを洗い流してしまうには完走しなければならないと言う一念で、有る力を全て燃やし尽くしてついにゴール地点を通過した。ゴール地点には同好者達がクラブの最高齢者を拍手で歓迎してくれた。手を挙げて振りながら有り難うと応答した。4時間20余分の初完走の快感で疲労を忘れた。フルコース完走記念メダルを首にかけながら汗でぐしょぐしょになった顔をぬぐった。

 その後、4時間5分→4時間→3時間52分と記録を短縮しながら、フルコースだけで十回余走った。今は「私一人が青年」という年寄りの欲望を捨てて、健康の為に走っている。過負荷の自動車がオーバーヒートする状態を常に肝に銘じながら、もっともっと走りたい。

 今は愛する息子と娘は米国ミズーリ大学とソウルの某大学で教職生活をしている。筆者は2004年初から7年間活動していた首都移転反対運動を、去る6月国会での世宗市(セジョン市:忠清南道の燕岐・公州地域)建設確定と同時に中断し、社会活動で出かける事を控えている。

(注1)一山湖水マラソンクラブは一山湖水の走る仲間が1999年に設立した同好者の集まりで、約300名の会員が毎週日曜日、早朝マラソンを楽しんでいる。会長職を引き受け韓日親善交流を周旋してきたが、いまは後方から支援している。

(注2)尼崎走ろう会は42年の長い歴史と170余名の会員を持ったマラソンンクラブである。尼崎市は大阪市の西側約30kmの小さな都市で、西宮市、宝塚市、伊丹市、神戸市、等と接している。毎週日曜日朝、武庫川を中心にアマチュアランナー達はランニングをいている。

東京マラソン 見返り投稿

今回の東京マラソンで楽しみだったのは
あのスカイツリーを観ることでした
しかし前日は覗むこと出来ませんでした
あんな高い塔だからどこでも見えるかと思っていましたが、、、、。
しかしレースの最中浅草寺から右へまがったとたん
バーンとスカイツリーが飛び込んできました、これは最高でした、今回のレースのハイライトといってもいいでしょう。
それから東京マラソンは全コース、両サイドびっしりと応援の方が声援を送られておられましたがそれ以外にも、まず防衛庁前はフルバンドの演奏で軽快なマーチの演奏♪、これはスタートしたばっかりでしたが立ち止まって聴きたかったです、沿道ではいろんな演奏やダンス、演舞など途切れることもなく、我々ランナーを楽しませてくれました、もちろん私設エイドも多かったですし、那覇マラソンを髣髴させるものでした。
それとそれと沿道にいろんな仮装で応援している集団も多かったですね、これは楽しかったです。

                         ひこらん 

20110302ジョギング日誌

20110302ジョギング日誌

本日は昨日に引き続き雨で走れませんでした。7:30amには雨から雪になり、この雪が溶けたら春が来そうな気がします。

20110227ジョギング日誌

20110227ジョギング日誌

先日はひさしぶりに尼崎走ろう会で走ってきました。
天気も良く、のんびり走るのには最高の日和でした。
 いつも一人で走っているので、話しながら走るのもなかなか新鮮でした。一緒に走っていただいた方、どうもありがとうございました。
 走行距離は18kmほどかと思いますが、HDDを載せ替えたので距離を測定するプログラムのインストールがまだだったので、週末時間があるときに再度測定してみます。

東京マラソン応援編

今度は応援者の目線からの東京マラソンも紹介したいと思います。
まず、残念なところをひとつ。
START地点付近には近づけず、都知事挨拶や、TOPランナーを含めた選手が全く見えないこと。でも運営上仕方ないですね。

それはそれは、すごい沿道の人の数で、ボランティアの人も危険回避のため、真剣に与えられた仕事に取り組まれてました。・・・これはいいところ。

僕の場合は、STARTしてすぐのところで待ち伏せして観戦していました。写真に収めることが出来ない速さの一流ランナーの走りを目の当たりにし、一気にテンションが上がりました。外国人ランナー、仮装ランナー、一般ランナーの波が本格的に道路一杯になってきたところで、新宿から丸の内線で銀座まで行き、次の応援スポットまで、待ち時間込みで約40分。到着するや急いで600m程西へラン(黒い旅行バッグを肩掛け)で移動すること10km地点。皇居から曲がってくるランナーにあやちゃんとひこらんさんをぎりぎり写真におさめれたと思ったら、品川を折り返した一流ランナーが目の前を通過!(21km中間点)しびれました!その後、渋井・大平・嶋原選手などの有名選手が次々に通過、サブ3ランナーが通過するまで20分以上!いつもなら憧れの的、サブ3ランナーがこのときは遅く感じました。

今度は、あやちゃんが中間点を通過した後、次の応援スポットをどこにしようか地図とにらめっこをし、見知らぬ土地をランで32km地点まで移動。10km・中間点と声を掛けたけど気づかれなかったので、ここではなんとしても応援とぬくくなったゼリーを渡さねば・・・!と思い必死でした。しばらくして、予想通過TIME通りにあやちゃんが近づいてきたので3回名前を呼び、ボランティアスタッフの目を盗みなんとかコース内に入り、渡すことが出来ました。

また、ラン移動で37km地点。なんとか近道で追いつく予定でしたが、旅行カバンが肩に食い込みレースを走っているランナーには追いつかず、結局地下鉄・モノレールを乗り継ぎ東京ビッグサイトまでの大移動でした。東京マラソンは応援してても楽しい最高の大会だと思います。来年は、もっとたくさんの走ろう会の人が当選しますよう願っています。

東京マラソンに行ってきました!

東京マラソンに行って来ました
前日はウキウキワクワクしてすごく楽しかったけど・・・。夜になるにつれて緊張感が増してきました。
当日の朝・・・、選手の整列時刻は8時から。混雑を避けようと8:05にひこらんさんとともに早めに整列。
STARTゲート近辺は、家族といえど選手以外立ち入り禁止区域になっていてトラックに荷物を預けたり、整列ブロックの場所を探したりでプチパニック!(一人でやるのは、大変(*。*;))


気温5℃の寒い中1時間も待っていたのでトイレに行きたくなって、都知事の挨拶どころではありませんでした。
5kmを過ぎたあたりから、足も温まりトイレも行けたのでだんだんテンションがあがってくる。
皇居や浅草、スカイツリーなど東京の名スポット(銀座と東京タワーがどこにあるかわからなかったけど)をキョロキョロしながら、楽しく走れました。30kmを過ぎたあたりからフルマラソン特有のしんどさが襲ってきました。32km地点でたかしくんの声が聞こえて、ふと見ると、コース内に旅行バッグを抱えた、でかい男が乱入!一瞬びっくりしました。手にはエナジーゼリーを持っていました。別にほしくはなかったけど飲んだのがよかったのか?後からLAPを見ると32km~33kmに落ちかけたペースが戻っていました♪

残り5kmの佃大橋のアップダウンがきつく、うつ向き気味に走っていた私に『前だけを向いて走って~!ゴールは前にしかないよ~』と沿道の声援でまた元気を注入してもらいました。ほんとに楽しい大会でした。来年は二人で参加できたらいいのになぁ(^^)。当選したらですけど。

ひこらんさん、まるちゃん夫妻はじめ参加された方、お疲れ様でした。

東京マラソン 4

何やかやで、お蔭様で東京マラソンを楽しませてもらいました 。
タイムも恥ずかしながら 4時間43分52秒、グロスネットも10秒しか違わないんです、2年前より大幅に悪い。目標にしていた時間よりも悪かったですが、3回目の今日が一番楽しかったです。
トイレに行ったときと水を飲むとき意外はずっと走り続けましたから

走ろう会のキャリアと、何十年前の陸上部駅伝選手のプライドからいって
こんなタイムでと、恥ずかしいんですが、そんなことを思うことが人間が小さいですね。

フアンランですからね、ほんとは。

私は5回続いた東京マラソンを4回見ているんです、毎年良くなっているような気がします。
スタッフもほんとに良くやっています。
スタッフも親切丁寧、みんな喜んでやっています。

東京マラソンの運営を見てここまで持ってきた石原さんは素晴らしいと思います。

今年は大阪マラソン、神戸マラソンとデビュウしますが、このような東京マラソンのような運営が出来るんでしょうか。
スタートからゴールまでぎっしりと隙間のないくらいな?大応援団、大観衆。

そして厳しい規制、これがないと大混乱になります

私は大阪マラソンにもし抽選に外れたらボランテアをしたいですね。

最後に私が貰った完走メダル、写真だとチャチッポイですが立派ですよ。

東京マラソン 3

スタートして10K過ぎる頃、後ろがざわめかしい、振り向くと、どこかで見た顔、左右のギャラリーがキャーキャー言っています

なんと国分太一君ではありませんか、前後左右を若い男女の護衛?に囲まれてリズム良く走っている

ムクムクとミーハーの血が騒ぎ出しました、よし一緒に走ろうとそのままずっと前に言ったり後ろに下がったり、写真いいですかと聞いたらうなずいたように感じました

それとばかり、前からパシャッとやりましたがなかなかうまくいかず失敗でした、何枚か撮りましたが後姿ばかり。

しかし、あんな忙しいのに良く練習できてるなと素朴な疑問、きっちりと6分ペースで走っています、周りの護衛は若いですが相当な走力がありますね、どっかの大学の陸上部でしょうか、アルバイトで。

30K地点で声をかけてみました。

「軽い走りですね」 とそしたら「ここから未知の世界ですので心配です」、と そして握手

相変わらず応援の人が、といっても若い子ばっかりキャー、キャーが続きます、ところどころのテレビカメラが追っかけてきます、一緒に走っている時間が90分くらいあったと思いますのでどっかで私も写っているはず、ピンクの護衛はテレビ局のスタッフと書いてありました。

護衛と国分太一くんの会話は面白かったです

「こんなに声援を受けてたらつらい顔できないよな」とかすれ違ったとき知人を発見したのか

「あいつにまけてる」とか悔しがっていました。

それと亀田兄弟走っていましたが、大分後ろでした。

猫ひろしはエリートマラソンでしたね、話しかけても返事をしないくらい真剣だった様子でした

32K地点からは足元がモタモタしだしまして6分ペースが保てなくなりついていくのをあきらめましたが、彼はほんとにいい走りをしていました。

東京マラソン 2

いよいよスタート、スポーツDJ「山本ゆうじ」流れるような臨場感あふれる 場内実況が私の目の前で始まりました。
ひな壇には名前は知らないがおそらく著名人なんででしょうズラリ、知っているのはメダリストの有森裕子さんだけ、片手をリズム感に突き上げて檄?を飛ばしています。
そして石原都知事の挨拶、いつもながら貫禄充分「頑張らないで、頑張ってください」は良く分かります。

チャリテイ枠を設けたことについては、日本は寄付文化がほとんどない、お寺や神社などの宗教に関してはみんなお布施や、寄付をするが、ほんとは、なにに使っているかさっぱり分からん、そして税金を払わないから話にならない

ロンドンマラソンなんかは5万人くらいの参加者の3分1はチャリテイ枠なんだそうです

今回は1074人のチャリテイランナーがいました、10万円の寄付ですよ。
そんな人が私の周りにも何人かいました。
ゼッケンは金色です、参加賞のTシャツもグリーンの素敵なものでした。

この人たちは素晴らしいと思います、私は趣旨をすこし誤解していましたので石原さんの挨拶で充分理解をいたしました。

スタート直前、ゲストランナーとエリートランナーがDJの紹介で最前列へそろって入場してきました、この中に優勝した川内さんもいるんですよね。

市民ランナーの勝利と、マスコミは、はやし立てていますが、私は川内さんにケチをつける気持ちは、もちろんありません、しかし、、、、。
市民ランナーというカテゴリーは、どのへんにあるか?

会社お抱えで仕事より練習時間のほうが多い実業団の選手以外を市民ランナーというんでしょうか、そしたら市民ランナーですよね。

私はそれ以外でも駅伝に選ばれたり、エリートマラソンに出ているような選手は一般市民ランナーとは言わないと思いますが、いかがでしょうか。

横道にそれましたが

号砲一発、みんなダッシュ、私も昔中距離の選手、短い距離なら少しくらいと思いましたが、アホなことは出来ません、スグ端っこに寄りました。

長い間待たされましたので足が地に着かない感じが当分続きました。

それでも㌔5分台のペースで5キロを通過

前日神田神保町に住む同級生の息子さんから激励のプラカードで応援するからと連絡が入りましたが指定の場所をスピードを緩めてキョロキョロ探しましたが、分からず仕舞い、申し訳ない気持ちです。

立ち止まって探せないところがつらいところ、中間点を過ぎていたら歩いて 探したかも、現実に32㌔地点で〇〇さ~んと呼ぶ声あり、振り向くと昔走ろう会で良く練習していた、Tくん。

彼は昨年初マラソンで2時間30分くらいで走った、これこそエリート市民ランナーです

古い走ろう会の方は知っていると思います、彼が声をかけてくれた、思わずバックして握手をしました。

それにしてもIT時代私のゼッケンを携帯で入力したら、今どこを通過したか分かるんですね

まあこれはハワイでもそうでしたがね、チップをつけたら嘘をつけない、、、、。

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