尼崎走ろう会 Amagasaki Running Club

尼崎走ろう会は1970年に発足したランニングクラブです

2024年に54周年を迎えました

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篠山マラソン

今日、篠山マラソンに参加された方、お疲れ様でした。

今回で自分は、篠山マラソンは終わりにします。(と言ってもまた参加していたりするかも…)結果はと言いますと、4時間48分で何とか完走できました。以前までは30km地点で歩いてしまっていたので、今年は36km地点まで歩かずに走り続けたのは大きかったと思います。まぁ~自分としてはまだまだですが…。まぁ~怪我無く楽しく完走できたことは良かったです

12日振りのラン

今日は旅行、私用等で先月21日以来の12日振りのランである。

気温は一昨日までの寒さが嘘のような温かさであるが、どうも身体が重い。
運動しない上に、暴飲暴食したのが原因のようである。

当然走りにも切れがなく、致し方なくジョグと相成った。
1時間ほどすると発汗し、少しは走れる状況になったが、午後からはまた所用で出かける
予定があり切り上げざるを得なかった。

帰宅しヘルスメーターに乗ると、3kも体重が増えていたw( ̄o ̄)w
これでは走れないのも御もっともである。

明日からは少し距離を延ばし、減量せざるを得ない状況となった(。>0<。)

20110304ジョギング日誌

20110304ジョギング日誌

 昨晩は雪で、朝はちろちろと融雪水の音が聞こえましたが、雪そのものは降っていなかったので走れました。
 ただ、ところどころ雪が残って凍結したり、融雪水の水たまりがあったりと、なるべく雪が少ないところはどこかと考えながら走っていました。

走っているときは、指は「寒い」ぐらいで済んでいたのですが、自転車に乗るとかじかむのはスピードが違うのと体力をさほど使っていないということなんでしょう。

3月に一度雪が積もるとは思ってましたので、この雪が溶ければもう春はすぐそこだなぁとは思いつつも、来週末の神通川マラソンのときには雪は降らないでほしいなぁと思います。

今日は寒かった 見返り寒波!

東京マラソン以来のラン、といってもジョグです。走りたいと思う気持ちと裏腹に足が非常に重かったですが小雪舞い散るなか、何とかやりました、しかしバランスは悪いですよね、心と体が一対でないですから、こんなときケガをするんです、慎重にジョグリました。

さて東京マラソンの折、7Kの神田神保町付近で高校の同級生が家族で応援してくれたんですが私が見過ごしてしまい、確認できなかったんです。
今日、のぼりと写真を送ってきてくれました。
ホントに嬉しいです、これを見つけて記念写真を撮れたら最高でしたよね。

20110303ジョギング日誌

20110303ジョギング日誌

昨晩は雪で、朝はどうかな?と思ったのですが、融雪水の流れる音もなく、今日は走れました。
 道路だけは溶けていますが、それ以外には雪も積もって寒いことは寒いのですが、風がないので走れます。ただ、歩道は例によって除雪されてなく、一部凍結もあり、かなり気を付けないと走れません。
 普段ですと水たまりを飛び越えるのですが、凍結しているところが怖くて水たまりに足をつっこんで濡れてしまいました。まぁ、靴も一日あれば乾くと思ってます^_^;

鄭成玉氏の親善交流日誌(その6)・・・最終回

 「なぜしんどいのにマラソン走るのか」と問われると「ただ健康の為に・・・」


 マラソンを始めてすでに十余年が過ぎた。筆者がマラソンをしているということを知って周囲の人たちは「なぜしんどいマラソンを走るんですか?」といぶかしげにまた心配そうに聞く。

 1998年3月政権交代と同時に役職をなくし一年を過ごし、1999年3月末、33年間青春を捧げた所(公報処→文化観光部)から名誉退職という名前で強制退出(?)した後、一山に引っ越した。3食(毎日)がつらく、退職者だけで会って焼酎でつらい身の上話(身世打鈴)をしながら、むなしい歳月を過ごした。たまにゴルフで旧同僚達に会い楽しんだけれど、暮らし向きが思い道理にならない立場で十分に行うことが出来ず中断し、ずいぶん前からしてきている登山を主な種目にした。登山道でも、筆者と同じような姿の頭を垂れた中長年男性達と会うと視線を逸らした。

 4月中旬12日間の高陽国際花博覧会で日本語通訳ボランティア活動を終えた後、一山湖水周囲を走り始めた。5km→10kmを手始めに十月のハーフマラソン大会(21.0975m)に参加を経験した後すぐ怖れもなくフルマラソン(42.195km)大会に挑戦した。

 最初に参加したフルマラソンを回想してみる。2000年秋のマラソン大会だ。若いランナー達とハーフ地点を軽快にそして一生懸命走っていたが、35km地点に来ると予想通り足がつって、胸が苦しくなり、究極の境地になってきた。ちょっとやそっとの苦痛ではない。なぜこんなに苦しいマラソンをするのかと反問してみた。失業者になった鬱憤を克服する為である、中途で放棄する事は出来なかった。

 ゴール地点が近くなるにつれて万感いろんな思いが交錯した。親父を慰労しながら米国留学の道に旅立った息子、「鄭先生はいらっしゃいますか」という昔の総務と職員の電話を受けて衝撃を受けた娘、公務員であった家長を慰めようと努め段々と言葉少なになった妻など、家族の姿が突然浮かび上がってきた。今の悲しみを洗い流してしまうには完走しなければならないと言う一念で、有る力を全て燃やし尽くしてついにゴール地点を通過した。ゴール地点には同好者達がクラブの最高齢者を拍手で歓迎してくれた。手を挙げて振りながら有り難うと応答した。4時間20余分の初完走の快感で疲労を忘れた。フルコース完走記念メダルを首にかけながら汗でぐしょぐしょになった顔をぬぐった。

 その後、4時間5分→4時間→3時間52分と記録を短縮しながら、フルコースだけで十回余走った。今は「私一人が青年」という年寄りの欲望を捨てて、健康の為に走っている。過負荷の自動車がオーバーヒートする状態を常に肝に銘じながら、もっともっと走りたい。

 今は愛する息子と娘は米国ミズーリ大学とソウルの某大学で教職生活をしている。筆者は2004年初から7年間活動していた首都移転反対運動を、去る6月国会での世宗市(セジョン市:忠清南道の燕岐・公州地域)建設確定と同時に中断し、社会活動で出かける事を控えている。

(注1)一山湖水マラソンクラブは一山湖水の走る仲間が1999年に設立した同好者の集まりで、約300名の会員が毎週日曜日、早朝マラソンを楽しんでいる。会長職を引き受け韓日親善交流を周旋してきたが、いまは後方から支援している。

(注2)尼崎走ろう会は42年の長い歴史と170余名の会員を持ったマラソンンクラブである。尼崎市は大阪市の西側約30kmの小さな都市で、西宮市、宝塚市、伊丹市、神戸市、等と接している。毎週日曜日朝、武庫川を中心にアマチュアランナー達はランニングをいている。

東京マラソン 見返り投稿

今回の東京マラソンで楽しみだったのは
あのスカイツリーを観ることでした
しかし前日は覗むこと出来ませんでした
あんな高い塔だからどこでも見えるかと思っていましたが、、、、。
しかしレースの最中浅草寺から右へまがったとたん
バーンとスカイツリーが飛び込んできました、これは最高でした、今回のレースのハイライトといってもいいでしょう。
それから東京マラソンは全コース、両サイドびっしりと応援の方が声援を送られておられましたがそれ以外にも、まず防衛庁前はフルバンドの演奏で軽快なマーチの演奏♪、これはスタートしたばっかりでしたが立ち止まって聴きたかったです、沿道ではいろんな演奏やダンス、演舞など途切れることもなく、我々ランナーを楽しませてくれました、もちろん私設エイドも多かったですし、那覇マラソンを髣髴させるものでした。
それとそれと沿道にいろんな仮装で応援している集団も多かったですね、これは楽しかったです。

                         ひこらん 

20110302ジョギング日誌

20110302ジョギング日誌

本日は昨日に引き続き雨で走れませんでした。7:30amには雨から雪になり、この雪が溶けたら春が来そうな気がします。

20110227ジョギング日誌

20110227ジョギング日誌

先日はひさしぶりに尼崎走ろう会で走ってきました。
天気も良く、のんびり走るのには最高の日和でした。
 いつも一人で走っているので、話しながら走るのもなかなか新鮮でした。一緒に走っていただいた方、どうもありがとうございました。
 走行距離は18kmほどかと思いますが、HDDを載せ替えたので距離を測定するプログラムのインストールがまだだったので、週末時間があるときに再度測定してみます。

東京マラソン応援編

今度は応援者の目線からの東京マラソンも紹介したいと思います。
まず、残念なところをひとつ。
START地点付近には近づけず、都知事挨拶や、TOPランナーを含めた選手が全く見えないこと。でも運営上仕方ないですね。

それはそれは、すごい沿道の人の数で、ボランティアの人も危険回避のため、真剣に与えられた仕事に取り組まれてました。・・・これはいいところ。

僕の場合は、STARTしてすぐのところで待ち伏せして観戦していました。写真に収めることが出来ない速さの一流ランナーの走りを目の当たりにし、一気にテンションが上がりました。外国人ランナー、仮装ランナー、一般ランナーの波が本格的に道路一杯になってきたところで、新宿から丸の内線で銀座まで行き、次の応援スポットまで、待ち時間込みで約40分。到着するや急いで600m程西へラン(黒い旅行バッグを肩掛け)で移動すること10km地点。皇居から曲がってくるランナーにあやちゃんとひこらんさんをぎりぎり写真におさめれたと思ったら、品川を折り返した一流ランナーが目の前を通過!(21km中間点)しびれました!その後、渋井・大平・嶋原選手などの有名選手が次々に通過、サブ3ランナーが通過するまで20分以上!いつもなら憧れの的、サブ3ランナーがこのときは遅く感じました。

今度は、あやちゃんが中間点を通過した後、次の応援スポットをどこにしようか地図とにらめっこをし、見知らぬ土地をランで32km地点まで移動。10km・中間点と声を掛けたけど気づかれなかったので、ここではなんとしても応援とぬくくなったゼリーを渡さねば・・・!と思い必死でした。しばらくして、予想通過TIME通りにあやちゃんが近づいてきたので3回名前を呼び、ボランティアスタッフの目を盗みなんとかコース内に入り、渡すことが出来ました。

また、ラン移動で37km地点。なんとか近道で追いつく予定でしたが、旅行カバンが肩に食い込みレースを走っているランナーには追いつかず、結局地下鉄・モノレールを乗り継ぎ東京ビッグサイトまでの大移動でした。東京マラソンは応援してても楽しい最高の大会だと思います。来年は、もっとたくさんの走ろう会の人が当選しますよう願っています。

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