次の電柱まで!
投稿日:2012年1月24日(火) 00時36分
朝日新聞にメキシコ五輪男子マラソン銀メダリスト 君原健二氏(70)のインタビュー記事が
載っていましたので、 ご参考までに。 (1月20日 夕刊)
――― 中学生たちと一緒に走っているんですね
はい。北九州市などの実業団OBによる「北実会」という集まりが5年前にでき、今までの恩返しをしようじゃないかということで、週1、2回。私は生徒たちと一緒に走ることが多いんですが。
――― 指導と言うより、自分の方が一生懸命走っていると?
そうですね。そうすることが子どもたちの励みにもなると思いますし、私も楽しい。健康のためにもなりますので。子どもの成長には著しいものがあります。1、2年生にはなんとか対抗できても、3年生にはとてもかないません。
――― 中学生にサインをねだられた時に「努力しよう」と書かれていましたが
「努力」は好きな言葉で、子ども向けの色紙には「人間に与えられた最大の力は、努力です」と書くことが多い。大人の方には「人生、努力を糧に。ゴール無限」と書くことが最近増えました。
私は現役時代、トラックの1メートルでも2メートルでも外側を走るようにしました。道路を走る時は、もう少し先に見えている電柱まで行ってみよう、そこに着いたらもう一つ先まで行こうと、よくばって走りました。練習すればするほど力がついてくるということを実感として知っていた。努力することが癖になってしまい、走ること以外でも、努力は苦になりません。
――― 現在、日本の男子マラソンは世界の中で苦戦しでいます
北京五輪(2008年)でアフリカ勢が炎天下をハイペースで走ったのをみると、素質の差はどうしようもなく努力だけでは追いつかない部分が出てきているような気もします。それでも、近づくことはできるんですね。ですから、がんばってほしい。
――― 今はどのような生活を
講演活動が年30回近く、マラソン大会のゲスト出場も月1回程度あります。6、7年前にはへたくそですけどパソコンを始め、ブログも書いています。お酒を飲むのは私にとって格好のストレス解消法で、毎晩飲んでいます。
46年前に優勝したボストンマラソンに4年後、75才の時に招待されることになっています。完走するのが目標です。
――― 円谷幸吉さん(1964年東京五輪銅メダリスト、68年自殺)の墓参をかかさないとか
故郷の福島県須賀川市で開かれる「円谷幸吉メモリアルマラソン大会」に招かれていて昨年は29回大会でした。その時に参らせてもらっています。東京五輪の直前に札幌であった1万メートル記録会で私も円谷さんも日本記録を上回り、ビールで乾杯した楽しい思い出がありますもので、墓前でビールで乾杯しています。「おかげで私は、今もがんばって生活しております」と報告しています。
以上 (無断転載乞許)