17年目の1.17
投稿日:2012年1月18日(水) 01時00分
今日は阪神淡路大震災から17年目に当たります。
17年前は皆さんはどうなされていたでしょうか。
我が家は敷地の真ん中を地割れが走り、1階が股裂き状態で座が抜けました。
成人式を地元西宮で終わったばかりの長女と、高校生の次女、高校受験前の長男
と家族5人が一緒の時だったので、直後に無事を確認する事が出来て幸いでした。
長女と次女は増築した3階で寝ていて、降りる通路確保が大変だったように覚え
ている。長男は3畳の勉強部屋で本棚と机の間に寝ていて、倒れた本棚が机で
止まった三角形に助けられた。本棚の上には、祖父から送られた鉄製のカブトが
あったが、本人を直撃していればタダでは済まなかっただろう。
ドドーンと縦揺れが来て、トランポリン(体操の空中姿勢確認で良くやっていた)
で人に悪さをされているような動きに目を覚まし、見る間に南北に大きな横揺れが
続いた。長手方向に置いてあった和服ダンスの上側が、スローモーションの映像
を見るように揺れながら落ちてきた。”ワーッツ”と大声を上げながらタンスを避けた
様に思う。 幸い夫婦とも下敷きには成らなかった。
当日は肩を寄せ合い、余震を心配しながら玄関近くで仮眠。翌日、呼んで貰って
堺の姉宅に全員で避難した。避難途中、西宮を過ぎて武庫川を越えると、地震被害
の状況が全く違っている、軽い。
大阪まで行くと、そこは全くの平時。十数キロなのにその被害の落差に愕然とした。
場所にもよるし、活断層が東北に伸びていたことにもよると思うが、大きな川を挟む
ことでこんなにも被害の程度が違うものかと思い知った。
一年半後に元の土地に再建して戻るまで、義弟の世話で南武庫之荘にアパートを
借りた。 そこで尼崎市報を見た女房殿に薦められて、94年夏から走り始めた私の
仲間が居る「走ろう会」を知り、早速入会させて頂いた。当時は2代坪倉会長でした。
地震がなければ、尼崎走ろう会に入る事はなかったと思う。
今も例会毎に西宮から30分以上掛けて自転車通勤です。エニシの不思議を感じます。
96年夏、新築成って倉庫から家財道具を運ぶ時、姉娘から借りた車で事故を起こ
した事も今は思い出です。前の車のストップランプが桃色に見えたのは疲れためか。
97年冬に戻った西宮で飼いだした犬(ダイチ)も、昨年12月31日に死亡した。
阪神大震災で受けたご恩を、昨年2回の東北行きで返せたか、とりあえず17年目で
阪神大震災の心のオリは一区切りとします。
私の場合、全国の義援金が40万(全壊)、再建費用2千万の消費税60万(3%)。
東北石巻市では全壊or死亡者家庭義援金100万、消費税100万(2千万の5%で)。
あなた・私の全国民からの温かい義援金が、冷たい消費税に食い尽くされている
笑うに笑えない光景が浮かび上がります。
国の借金を返す為に消費税5%→8%→10%と決定したとの報道ですが、被災者
の再建費用の消費税は免税にすべきだと、義援金提供者として強く思い主張したい
所です。
支出を削る所は議員報酬・訳のわからぬ調査費など他にもいっぱいあるはず。
2012.1.17 深草哲