尼崎走ろう会 Amagasaki Running Club

尼崎走ろう会は1970年に発足したランニングクラブです

2024年に54周年を迎えました

コミュニティ広場

大阪マラソンボランテア!

連続4回走っていた大阪マラソンは、今年は落選でした。

それならと即ボランテアを申し込み。
前日の24日は、朝からインテックス大阪のマラソン受付で仕事でした。

ゼッケン番号をPCで照合、本人確認、参加賞渡し、チャリテイの丁シャツ、帽子渡し、ビニール袋渡し。この作業を交代で全部やりました。
難しかったのはゼッケンでチャリテイをやってるかどうかの確認。

チェックのところの文字が小さかったので確認作業は慣れるまで大変でした。
チャリテイしてないのに丁シャツや帽子をもらおうとする やつもいるからです。
8時から3時半までが私の仕事。その間は30分の休憩のみ、それから5時半まで時間をつぶす。
5時半からマラソン本番の仕事説明会参加、約一時間。 帰宅pm8時過ぎ。

25日本番は朝7時に家を出て、大阪ドームの集合場所へ。

大正橋交差点で交通規制が始まると仕事開始。短い時間でテープを張ったり、コーンを置いたり、バリケード?設置したり等。
レース終了の交通規制解除まで忙しかったです。

神戸マラソン、宝塚マラソンや、尼崎ハーフなどで、ボランテアはしましたが、仕事量は大変でした。警察、民間警備、大会運営の人、審判委員の人、救護の人、ボランテアリーダー、我々一般ボランテアと流れるような命令系統には、感心しました。
食事もなし、トイレも大変。近くのローソンのトイレは使用禁止しますと冷たい張り紙。いろんな経験をしました。

リーダーから次回はリーダーでやってくださいと言われましたが、めっちゃ大変そうでしたので考えます。

ボランテアの数は10000人(ランナーは32000人)これだけの人に支えられている大会だったんですね。

でも楽しかったです。

来年、もし走れなかったらまたボランテアをするぞ!と思いました。

 ひこらん 

追伸 (大会関係者から聞いたんですが全コースの中でこの場所からの応援が一番いいらしいですよ)確かに私もそお思いました。

 

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